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松山家庭裁判所 昭和57年(少ハ)1号 決定

主文

本人を昭和五八年四月二日まで京都医療少年院に継続して収容する。

理由

一  本件申請の要旨は、本人は昭和五六年四月三日当裁判所において毒物及び劇物取締法違反保護事件について中等少年院送致の決定を受け、同月八日岡山少年院に収容され、同年一一月二五日心因反応の疑いにより京都医療少年院へ移入院となり、同五七年一月二六日満二〇年に達したので少年院法一一条一項但書により送致後一年に当たる同年四月二日まで収容が継続されたものであるところ、本人は精神分裂病に罹患しており社会復帰の可能性が生ずるにはなお約一年間の継続的加療及び教育を必要とし、他方保護者の保護能力は著しく低く、また現状での帰住対応策(精神病院入院等)も不詳の段階にあるので、疾病の改善、教育の徹底及び環境の調整のための猶予期間として一年程度の収容継続決定を求めるというものである。

二  本件記録によれば本人収容の経緯は申請の要旨のとおりであることが認められる。

そして、参考人A、同B及び本人の各供述、C作成の「現病歴および予后に関する私見」と題する書面、本人の行動観察表並びに本件記録に編綴されているその他の資料によれば、以下の事実が認められる。

1  本人は岡山少年院在院中の昭和五六年六月ころからボーとしていることが多い反面急にニヤニヤと薄笑いを浮かべるようになり、同年七月ころから全裸になつて下着を洗つたり、意味もなく逆立ちを繰返したり、また廊下を何度も往復したりするなどの奇異な行動をとるようになり、同少年院医師より心因反応の疑いとの診断を受け、医療措置課程に変更となり同年一一月京都医療少年院に入院した。

2  本人は、同少年院入院当初から継続して精神安定剤の投与を受けていたところ、入院当初は無関心、無表情であつたのに同年一二月初めころから集団生活に多少のとけこみをみせるなどしたため、同少年院医師は右安定剤に薬効あるものと認めまた問診によるも心因となる要素を見出しえなかつたことから、同月二八日中毒性精神病の診断を下し、これに基づいて治療を施してきた。ところが本人はそのころから以前にも増して空笑や常同行為をみせるようになり、自閉傾向も顕著となる一方、ときには児戯的なふるまいをしたり暴力を振るうようにもなつた。そのため同少年院医師は本人に対し抗うつ剤を含む種々の向精神薬の強力投与や作業療法等を試みたが病状の改善をみず、遂に同五七年三月三日精神分裂病の診断を下すに至つた。

3  本人は、現在同少年院の特別寮において個別処遇を受け、調子の良いときには作業療法を受けるなどして小康状態を保つており、その病歴等に照らし、今後の治療、教育により寛解に至る可能性もないわけではないが、現在の病状においては、未だ集団処遇の下で治療教育を受ける段階には至つていない。

4  本人の事実上の保護者である母親は、糖尿病を患い医療扶助を受けており、本人が岡山・京都の各少年院に在院中、本人と面会したり手紙を出したりすることは一度もなく、本人の引取りには消極的姿勢に終始し、また精神病院入院のための諸手続を自ら行おうとする意欲も示さない。

三  以上認定の事実によれば、本人の心身には著しい故障があり、このため本人を現段階で少年院から退院させることは不適当というべきである。尤も本人の罹患する精神分裂病の治療は本来の治療施設である精神病院においてこれを行うべきものではあるが、本人をどこの精神病院にいつ収容することが適当か、またその精神病院が本人を受入れるかどうかなど現段階においては不確定の事柄が多い。

従つて精神病院や本人の母親との調整をも兼ねて本人を医療少年院になお相当期間継続して収容することが必要というべきであり、その期間については、現に本人の治療及び教育に当つている少年院の専門的意見を尊重して更に一年間とすることが相当と思料される。(関係機関において、速やかに上記の諸調整を経て本人を仮退院のうえ精神病院に収容し本人において精神分裂病の治療に専念することができるよう処理されることを希望する。)

よつて、少年院法一一条四項、少年審判規則五五条の規定に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 佐藤陽一)

〔参考〕 収容継続申請の理由

一 収容期間について

本少年は昭和五六年四月三日松山家庭裁判所において、毒物及び劇物取締法違反保護事件により中等少年院送致の決定をうけ、同年四月八日岡山少年院に入院し、昭和五六年一一月二五日「心因反応の疑い」の病名により当院へ移入院したが、昭和五七年一月二六日満二〇歳となるため、送致後一年に満たないこと、処遇経過病状をも考慮のうえ、昭和五七年一月一二日少年院法第一一条第一項ただし書による収容継続決定を行い、収容期間は昭和五七年四月二日までとなりました。

二 収容経過

イ 岡山少年院において

個別教育目標を〈1〉薬物に依存しない心構えを持たせる。〈2〉協調性及び自己統制力を養わせる。〈3〉辛抱強く働く習慣を身につける。において処遇に着手したが、入院直後より指示には素直に従うものの作業等動作場面での能率が悪く、集団では協調性に欠け多分に自閉的、孤立的で面接指導等での働きかけにも適切な反応ができず日常日課の消化もとかく職員の手を煩わすことが多く、全般に院内不適となり教育目標達成には程遠く、昭和五六年七月頃からは強迫行動や異常行動の出現を見るなど拘禁性の心因反応を疑わせる不可解な生活状態が続いたため「心因反応の疑いとして専門医療施設での加療が必要」との診断により当院へ移送となつた。

ロ 当院での経過

移入後個人別教育目標を〈1〉適切な医療を施し健康回復をはかる。〈2〉最低限でも常識的行動がとれるよう自己統制力の向上と社会性の陶冶をはかる。〈3〉薬物吸引の有害性について認識を深めその依存性を除去させる。

ことにあらため対応した。

当初暫くは摂食排便等最少限度の生活行為はあるものの無表情、無関心、指示指導に対する反応は非常に鈍く時折奇異な行為を見せる以外は就寝休養するといつた生活が続いた。

其の後集団生活に移行したが、集団行動は精一ぱいながら表情やや明るく、また指導や注意を日記に記すなど一応院内生活への理解を示すなど順調な経過をたどりつつあるやに伺えたものの、間もなく対人関係の不調を訴えたり時に他生との交談場面があつたが突然つつ立つて興奮状態になつたり、あるいは自閉的孤立状態や、指導に対し反抗的行為の末奇異行動にでるといつた状態が交互に続き、昭和五六年一二月二八日中毒性精神病と診断され引続き加療と個別処遇を行うも相変らずの生活パターンを繰返し、病識を有せず正常な感情疎通性に欠けた極めて児戯的で衒気的行為に終始し昭和五七年二月一三日以降特別病室処遇として現在別紙診断書写のとおり精神分裂病として鋭意加療中であるが好転の兆は認められず社会復帰の可能性が生ずるまでになお約一年間の治療が必要であろうと予測する旨の診断となるに至つた。

三 処遇方針について

昭和五七年二月二七日処遇審査会において、同年三月一日付にて一級上に進級方決定したが、今後の処遇については入院後の経過当院主治医の意見等をもとに慎重審議の結果成績評定は除外とし、帰住環境の状況もあわせ仮退院申請は却下、なお相当期間継続して加療と教育の必要があるとの結論に達し、標記収容継続申請方決定した。

四 保護者、家族の状況について

入院後保護者家族の面会通信は皆無であり、本人との心情交流等については不詳。

帰住受入状況については、別紙環境調整報告書(編略)及び同追報告書各写(編略)のとおり保護観察所長意見として受入可能の旨受理しているが、本人に就労の意欲とシンナー吸引を止める意志がなければ更生困難とあり、また保護者自身の実態は母は病床で貧困、兄は現在無為徒食の状況で保護能力に限界があると思料され本人に余程の疾病回復、更生意欲の確立がなければ帰住は甚だ困難といわざるを得ないし、現状での帰住対応策(精神病院入院等)も不詳である。以上当院としては初期の教育と処遇効果を挙げるべく専門医による加療と指導に種々方法を検討し、鋭意努力を重ねてはいるが、現段階に於てこのまま満期出院さすことは保護上、社会的にも甚だ不適当であり、なお相当期間当院に収容し医療と矯正教育を行いながら帰住環境の調整を行うことが最も適切であると思料するに至つた。

よつて疾病の改善、教育の徹底、環境調整のための猶予期間として、一年程度(昭和五七年四月三日から昭和五八年四月二日まで)標記収容継続決定方申請します。

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